わたしは“多重性”の中で生きている  


 ~活動対話から見えてきた、わたしの輪郭


Copilot_20251115_021439


ある日、ふと思いついて、書き始めた。  

軽い気持ちだった。  

でも、気づけば、わたしの中の深いところまで話していた。


ASDのこと。  

ADHDのこと。  

性のこと。  

知的障害のある人たちとの出会い。  

そして、「マイノリティー」という言葉のこと。


---


第1章:病名のことを、そっと話しておきたい


わたしはASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の特性を持っている。  

でも、それは「病気」というよりも、  

世界の感じ方や、考え方の違いだと思っている。


ASD──音や光に敏感だったり、逆に気づきにくかったり。  

空気を読むのが難しかったり、こだわりが強かったりする。


ADHD──集中が続かなかったり、頭の中がにぎやかだったり。  

忘れっぽさや、思いつきの行動が出ることもある。


でもね、ひとつだけ、そっと伝えておきたいことがある。  

「集中できない=ADHD」って、すぐに決めつけないでほしい。


集中できない日って、誰にでもあるよね。  

眠れなかった日、心がざわついている日、  

生理前でぼんやりしてしまう日、  

ただ、興味が持てないだけの日もある。


ADHDの特性として、集中の波があるのはたしか。  

でも、それだけじゃない。  

わたしたちは、いろんな理由で“うまくいかない日”を抱えて生きている。


だからこそ、  

「この人はADHDだからこうだろう」じゃなくて、  

その人の“今”に、やさしく目を向けてほしい。

わたし自身も、そうありたいと思ってる。



 第2章:「マイノリティー」って、分けるための言葉?


車いすで生活している人だって、風邪を引く。  

それだけで、移動も食事も、いつも以上に大変になる。  

身体の違い+体調不良=多重マイノリティー。


でも、それって特別なこと?  

風邪を引くのは、誰にでもあること。  

つまり、誰もが、ある瞬間には“多重性”を抱えて生きている。


完璧な男性性の性格の人なんて、いない。  

ペアにだって、完全な一致はない。  

オナニーの仕方だって、人それぞれ違う。  

同じ人なんて、どこにもいない。


---


 第3章:ラベルの中にも、無数の違いがある


「同性愛者」「ASD」「ADHD」──  

どれも、わたしの中にある言葉。  

でも、その中にいる人たちは、みんな違う。


恋の仕方も、感覚の鋭さも、集中の波も、  

安心のしかたも、ぜんぶ違う。


だから、ラベルは“目印”にはなっても、  

その人のすべてを語ることはできない。


---


 第4章:きっかけは、「知的」のところだった


わたしが“違い”について深く考えるようになったのは、  

知的障害のある人たちと出会ったことがきっかけだった。


言葉のスピードが違う。  

感じる世界の濃さが違う。  

でも、そこにある感情や願いは、ちゃんと伝わってくる。


「わたしと違う」じゃなくて、「わたしもそうかもしれない」──  

そう思ったとき、  

わたしの中の「マイノリティー」という言葉の意味が、変わった。

---

 第5章:生理周期と、わたしのリズム


ADHDの話をすると、  

「女性にもあるんだね」と言われることがある。  

でも、わたしにとっては、  

生理の周期とADHDの波が、いつも重なっている。


排卵のあと、気分が落ちて、集中できなくなる。  

月経前になると、イライラしたり、涙が出たりする。  

それはホルモンのせいかもしれないし、ADHDのせいかもしれない。  

でも、どちらか一つじゃなくて、**両方が重なっているのが、わたしの“ふつう”。**


そして最近は、男性にもホルモンの波があると言われている。  

つまり、**性別に関係なく、誰もが“周期”や“ゆらぎ”を持っているのかもしれない。**


---

 第6章:濡れる時間も、心がほどける時間も、人それぞれ


本に書いてある“やり方”は、参考にはなる。  

でも、わたしの身体は、わたしだけのもの。  

わたしの心も、わたしだけのリズムで動いてる。


スクリーンショット 2024-04-24 023007
Copilot_20250923_024640



濡れるまでに時間がかかる日もある。  

すぐに安心できる日もある。  

でも、それはどちらが正しいとかじゃなくて、  

その人の“今”を大切にすることが、いちばんのHOW TOだと思う。


---

 第7章:だから、分けなくていい


わたしたちは、みんな違う形をしている。  

凸凹のまま生きていて、  

誰ひとりとして、規則正しい歯車なんていない。


そして、たとえペアになっても、  

恋人でも、親子でも、友達でも、  

完全に一致することはない。


でも、それでいい。  

違うまま、そばにいる。  

噛み合わない瞬間も、ずれる瞬間も、  

それごと大事にできたら、  

それが「共に生きる」ってことなんじゃないかな。




第8章:アダムとイブの物語に、わたしはいる?


もしアダムとイブが、“男女の原型”だとしたら、  

わたしは、その物語のどこにいるんだろう。


男でも女でもない人は?  

恋愛をしない人は?  

身体の性と心の性が違う人は?  

誰かと生きるより、一人でいることを選ぶ人は?


下着2


アダムとイブの物語には、たぶん、わたしはいない。  

でも、それはわたしが“いない”んじゃなくて、  

物語のほうが、まだ狭かっただけ。


82億人が生きている今、  

もう一度、物語の枠を広げてもいいんじゃないかな。


新しい登場人物がいてもいい。  

新しい関係の形があってもいい。  

だって、わたしたちは、もう“はじまり”の外側にいるんだから。


---

 第9章:身体のかたちは、誰かと比べるためのものじゃない


ちんちんの形も、大きさも、みんな違う。  

女性器の色も、形も、ふくらみも、みんな違う。  

乳房の左右差だって、毛の生え方だって、  

ぜんぶ、その人だけの“ふつう”なんだ。


それなのに、誰かが決めた“理想”に合わせようとして、  

自分の身体を恥ずかしく感じたり、  

誰かに見せることが怖くなったりする。


でも、わたしは思う。  

身体は、誰かと比べるためのものじゃない。

安心できること、気持ちよく感じること、  

それが、その人にとっての“正解”なんだと思う。


---


 第10章:鳥たちの恋のかたち


鳥の求愛行動を見ていると、  

一羽一羽、ほんとうに違う。


羽を広げて踊る子もいれば、  

静かに歌う子もいる。  

光るものを集めて巣を飾る子もいる。


どれも、その鳥だけの“好き”の伝え方。


人間だって、同じだと思う。  

恋のしかたも、触れ方も、安心の求め方も、  

誰かと同じじゃなくていい。


わたしは、わたしのリズムで、  

わたしの言葉で、  

わたしの身体で、  

「好き」を伝えていきたい。


---

 第11章:正解のない教室


算数にも、国語にも、  

ほんとうは“正解”なんてないのかもしれない。


答えが「4」になるとしても、  

2+2かもしれないし、8÷2かもしれない。  

どの道を通っても、たどり着けるなら、それでいい。


国語の答えなんて、もっと自由だ。  

「このときの主人公の気持ちは?」  

読む人の数だけ、感じ方がある。  

どれも、その人の心から生まれた答え。


わたしたちは、  

“正しさ”を学ぶために勉強してるんじゃない。  

**自分の考え方や感じ方を、見つけるために学んでる。**


---

 第12章:「あい」って、どんな字?


先生は言った。  

「“あい”という漢字を書いてごらん」


黒板には「愛」と書いてあった。  

でも、ある子は「相」と書いた。  

またある子は「会」と書いた。  

もしかしたら、「合」や「藍」と書いた子もいたかもしれない。


それを見て、先生は「ちがうよ」と言った。  

でも、わたしは思った。


どれも、“あい”だ。


相手を思いやること。  

誰かと会うこと。  

心が合うこと。  

深い青に染まること。


“あい”は、ひとつの字じゃ語りきれない。  

その子が選んだ字には、  

その子なりの“あい”が、ちゃんと宿ってる。


---

 第13章:正解なんて、ない


わたしたちは、  

誰かのマニュアルの中に生きてるんじゃない。


82億通りの身体があって、  

82億通りの心があって、  

82億通りの恋があって、  

82億通りの“ふつう”がある。


だから、正解なんて、ない。


あるのは、  

わたしが安心できること。  

わたしが気持ちよくいられること。  

わたしが「これがわたし」と言えること。


それを見つけていくことが、  

わたしの物語。  

そして、きっと、あなたの物語でもある。


---


 おわりに──わたしの話は、あなたの話かもしれない


82億人、すべてが多重性。  

誰もが、何かしらの違いを抱えて生きている。


だから、これは「マイノリティーの話」じゃない。  

すべての人に当てはまる話なんだと思う。