わたしは“多重性”の中で生きている
~活動対話から見えてきた、わたしの輪郭

ある日、ふと思いついて、書き始めた。
軽い気持ちだった。
でも、気づけば、わたしの中の深いところまで話していた。
ASDのこと。
ADHDのこと。
性のこと。
知的障害のある人たちとの出会い。
そして、「マイノリティー」という言葉のこと。
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第1章:病名のことを、そっと話しておきたい
わたしはASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の特性を持っている。
でも、それは「病気」というよりも、
世界の感じ方や、考え方の違いだと思っている。
ASD──音や光に敏感だったり、逆に気づきにくかったり。
空気を読むのが難しかったり、こだわりが強かったりする。
ADHD──集中が続かなかったり、頭の中がにぎやかだったり。
忘れっぽさや、思いつきの行動が出ることもある。
でもね、ひとつだけ、そっと伝えておきたいことがある。
「集中できない=ADHD」って、すぐに決めつけないでほしい。
集中できない日って、誰にでもあるよね。
眠れなかった日、心がざわついている日、
生理前でぼんやりしてしまう日、
ただ、興味が持てないだけの日もある。
ADHDの特性として、集中の波があるのはたしか。
でも、それだけじゃない。
わたしたちは、いろんな理由で“うまくいかない日”を抱えて生きている。
だからこそ、
「この人はADHDだからこうだろう」じゃなくて、
その人の“今”に、やさしく目を向けてほしい。
わたし自身も、そうありたいと思ってる。
第2章:「マイノリティー」って、分けるための言葉?
車いすで生活している人だって、風邪を引く。
それだけで、移動も食事も、いつも以上に大変になる。
身体の違い+体調不良=多重マイノリティー。
でも、それって特別なこと?
風邪を引くのは、誰にでもあること。
つまり、誰もが、ある瞬間には“多重性”を抱えて生きている。
完璧な男性性の性格の人なんて、いない。
ペアにだって、完全な一致はない。
オナニーの仕方だって、人それぞれ違う。
同じ人なんて、どこにもいない。
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第3章:ラベルの中にも、無数の違いがある
「同性愛者」「ASD」「ADHD」──
どれも、わたしの中にある言葉。
でも、その中にいる人たちは、みんな違う。
恋の仕方も、感覚の鋭さも、集中の波も、
安心のしかたも、ぜんぶ違う。
だから、ラベルは“目印”にはなっても、
その人のすべてを語ることはできない。
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第4章:きっかけは、「知的」のところだった
わたしが“違い”について深く考えるようになったのは、
知的障害のある人たちと出会ったことがきっかけだった。
言葉のスピードが違う。
感じる世界の濃さが違う。
でも、そこにある感情や願いは、ちゃんと伝わってくる。
「わたしと違う」じゃなくて、「わたしもそうかもしれない」──
そう思ったとき、
わたしの中の「マイノリティー」という言葉の意味が、変わった。
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第5章:生理周期と、わたしのリズム
ADHDの話をすると、
「女性にもあるんだね」と言われることがある。
でも、わたしにとっては、
生理の周期とADHDの波が、いつも重なっている。
排卵のあと、気分が落ちて、集中できなくなる。
月経前になると、イライラしたり、涙が出たりする。
それはホルモンのせいかもしれないし、ADHDのせいかもしれない。
でも、どちらか一つじゃなくて、**両方が重なっているのが、わたしの“ふつう”。**
そして最近は、男性にもホルモンの波があると言われている。
つまり、**性別に関係なく、誰もが“周期”や“ゆらぎ”を持っているのかもしれない。**
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第6章:濡れる時間も、心がほどける時間も、人それぞれ
本に書いてある“やり方”は、参考にはなる。
でも、わたしの身体は、わたしだけのもの。
わたしの心も、わたしだけのリズムで動いてる。

濡れるまでに時間がかかる日もある。
すぐに安心できる日もある。
でも、それはどちらが正しいとかじゃなくて、
その人の“今”を大切にすることが、いちばんのHOW TOだと思う。
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第7章:だから、分けなくていい
わたしたちは、みんな違う形をしている。
凸凹のまま生きていて、
誰ひとりとして、規則正しい歯車なんていない。
そして、たとえペアになっても、
恋人でも、親子でも、友達でも、
完全に一致することはない。
でも、それでいい。
違うまま、そばにいる。
噛み合わない瞬間も、ずれる瞬間も、
それごと大事にできたら、
それが「共に生きる」ってことなんじゃないかな。
第8章:アダムとイブの物語に、わたしはいる?
もしアダムとイブが、“男女の原型”だとしたら、
わたしは、その物語のどこにいるんだろう。
男でも女でもない人は?
恋愛をしない人は?
身体の性と心の性が違う人は?
誰かと生きるより、一人でいることを選ぶ人は?
アダムとイブの物語には、たぶん、わたしはいない。
でも、それはわたしが“いない”んじゃなくて、
物語のほうが、まだ狭かっただけ。
82億人が生きている今、
もう一度、物語の枠を広げてもいいんじゃないかな。
新しい登場人物がいてもいい。
新しい関係の形があってもいい。
だって、わたしたちは、もう“はじまり”の外側にいるんだから。
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第9章:身体のかたちは、誰かと比べるためのものじゃない
ちんちんの形も、大きさも、みんな違う。
女性器の色も、形も、ふくらみも、みんな違う。
乳房の左右差だって、毛の生え方だって、
ぜんぶ、その人だけの“ふつう”なんだ。
それなのに、誰かが決めた“理想”に合わせようとして、
自分の身体を恥ずかしく感じたり、
誰かに見せることが怖くなったりする。
でも、わたしは思う。
身体は、誰かと比べるためのものじゃない。
安心できること、気持ちよく感じること、
それが、その人にとっての“正解”なんだと思う。
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第10章:鳥たちの恋のかたち
鳥の求愛行動を見ていると、
一羽一羽、ほんとうに違う。
羽を広げて踊る子もいれば、
静かに歌う子もいる。
光るものを集めて巣を飾る子もいる。
どれも、その鳥だけの“好き”の伝え方。
人間だって、同じだと思う。
恋のしかたも、触れ方も、安心の求め方も、
誰かと同じじゃなくていい。
わたしは、わたしのリズムで、
わたしの言葉で、
わたしの身体で、
「好き」を伝えていきたい。
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第11章:正解のない教室
算数にも、国語にも、
ほんとうは“正解”なんてないのかもしれない。
答えが「4」になるとしても、
2+2かもしれないし、8÷2かもしれない。
どの道を通っても、たどり着けるなら、それでいい。
国語の答えなんて、もっと自由だ。
「このときの主人公の気持ちは?」
読む人の数だけ、感じ方がある。
どれも、その人の心から生まれた答え。
わたしたちは、
“正しさ”を学ぶために勉強してるんじゃない。
**自分の考え方や感じ方を、見つけるために学んでる。**
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第12章:「あい」って、どんな字?
先生は言った。
「“あい”という漢字を書いてごらん」
黒板には「愛」と書いてあった。
でも、ある子は「相」と書いた。
またある子は「会」と書いた。
もしかしたら、「合」や「藍」と書いた子もいたかもしれない。
それを見て、先生は「ちがうよ」と言った。
でも、わたしは思った。
どれも、“あい”だ。
相手を思いやること。
誰かと会うこと。
心が合うこと。
深い青に染まること。
“あい”は、ひとつの字じゃ語りきれない。
その子が選んだ字には、
その子なりの“あい”が、ちゃんと宿ってる。
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第13章:正解なんて、ない
わたしたちは、
誰かのマニュアルの中に生きてるんじゃない。
82億通りの身体があって、
82億通りの心があって、
82億通りの恋があって、
82億通りの“ふつう”がある。
だから、正解なんて、ない。
あるのは、
わたしが安心できること。
わたしが気持ちよくいられること。
わたしが「これがわたし」と言えること。
それを見つけていくことが、
わたしの物語。
そして、きっと、あなたの物語でもある。
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おわりに──わたしの話は、あなたの話かもしれない
82億人、すべてが多重性。
誰もが、何かしらの違いを抱えて生きている。
だから、これは「マイノリティーの話」じゃない。
すべての人に当てはまる話なんだと思う。


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