「鈴鹿市を、好きだったと思えるように」

― 声をあげることは、壊すことじゃない ―

本当は、こんなこと書きたくないんです。
楽しいことを伝えたいし、イベントを楽しみにしたい。
でも、どうしても、今は伝えておきたいことがあります。

それは、このまちで、安心して関わり続けたいから。
そして、ここを離れる人にも「鈴鹿市、よかったな」と思ってもらいたいから。


■ 情報が届かない。声が届かない。

今年の「ふれあい広場鈴鹿」に関して、
協力団体への連絡がないまま、広報だけが先に進んでいます。
市のページには情報が出ているのに、社協のページには何もない。
出店団体には、何の共有もありません。

私たちは、社協が“協力”として名前を出していることを信頼して、
自分たちのSNSやブログで告知をしています。
でも、そのリンク先に何も載っていない。
これでは、「あの団体、嘘ついてるんじゃない?」と思われても仕方がありません。


■ 声を上げる人を、排除しないでください

「またあの団体が出るのか」
「文句ばっかり言うから、排除したれ」

そんな空気があるとしたら、それは大人のいじめです。
意見を言うことは、まちを良くしたいという意思の表れです。
それを「文句」と決めつけて遠ざけるのは、対話の放棄です。


■ 実行委員会が“閉じた場”になるなら、もう必要ありません

実行委員会で動くこと自体は、悪くない。
でも、外からの意見を排除するなら、それはもう“独走”です。

「今までやってきたから、口出すな」
そう言うなら――
「じゃあ、せめて、ちゃんとやってください。」

参加団体からのアンケートも取らない。
改善の声も拾わない。
それでは、イベントは育ちません。


■ 「誰かがやってくれるだろう」では、まちは育たない

「誰かがやってくれるだろう」
そう思って、私たちはどこかで一歩引いてしまう。
でもそれは、自分たちで自分の首を絞めているのと同じです。

声を上げる人が減れば、
現場は疲弊し、改善は止まり、
やがて「もう誰もやらなくなった」という未来がやってきます。


■ 本当は、みんな言いたい。でも、言えない

今回、ここまでのことを言葉にしたのは、
輝虹会スターレインボーだけかもしれません。

でも、それは、
他の団体や市民が何も感じていないからではありません。

みんな、言いたいことはある。
でも、言ったら呼ばれなくなるかもしれない。
嫌われるかもしれない。
面倒な団体だと思われるかもしれない。

だから、静かにしている。
我慢している。
諦めている。

私たちは、その沈黙の中にある声を、代わりに言葉にしただけです。


■ 一時的でも、ここで生きている。だから、変えたい

おれたちは、どうせ数年しかいない。
工場勤務のために来ただけかもしれない。

でも、その数年間――
楽しい方がいいだろう。
安心して関われる方がいいだろう。
「ここにいてよかった」と思える方が、絶対にいい。

だったら、
このまちを、第二の故郷のように思いたい。
だったら――

鈴鹿市を、変えようよ。


■ 鈴鹿市に住んで、亀山市に移っても――

「あのときの鈴鹿、よかったな」って思えるように。
「また戻りたいな」って思えるように。

そんなまちに、していこうよ。
ここにいた時間が、誰かの“宝物”になるように。


■ 声を届ける場所は、ちゃんとある

協働交流プラザがいるんだよ。
こんな時のために。

「協力してくださる市民の皆さん、参加おまちもうしております」
ただいま募集中です。

声を上げることは、孤独じゃない。
つながる場所が、ちゃんとある。


■ 最後に

毒を少しずつ飲みながら、
何も言わずに死んでいくような関わり方を、
もうやめたいのです。

声を上げることは、苦いけれど、
生きるための選択です。

かわろうよ、みんな。