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【数日後・再びクリニックにて】

由紀子が退院してから、数日が経った。
山下は、再びあのクリニックの前に立っていた。
今度は、自分の名前で、
“山下”として。

受付で名前を告げると、
すぐに案内された。

「林医師が、お待ちです」

診察室に入ると、林医師は静かにうなずいた。

「……お久しぶりですね。
今日は、どうされましたか?」

山下は、少しうつむいたまま、
言葉を探していた。

「……彼女のことなんです。
退院してから、何度か……そういうことがあって。
でも……正直、うまくいかなくて」

林医師は、黙って聞いていた。

「……フェラチオが、気持ちよくないんです。
なんていうか……下手で。
でも、それを言ったら、傷つける気がして……」

山下の声は、だんだん小さくなっていった。

林医師は、しばらく考えるように視線を落とし、
やがて、静かに立ち上がった。

「……どうぞ、こちらへ」

そう言って、診察室の奥の扉を開けた。
その先には、あの“特別室”があった。

林医師は、ナースステーションに向けてインターホンを押し、
落ち着いた声で伝えた。

「今の患者さんには、少し時間を要します。
他の患者さんには、少しお待ちいただくようお伝えください」

そして、山下に向き直った。

「この部屋では、
少し違う角度から、あなたの悩みを見ていきましょう」



【特別室・感覚を言葉にする】

ソファのぬくもりに身をゆだねながら、
山下は、林医師の問いかけに、
ゆっくりと言葉を探していた。

「……気持ちよくない、って思ったとき、
どこがどう、というのはありますか?」

「うまく言えないんですけど……
たぶん、感覚が合ってないというか……
自分の中で、何かが引っかかる感じがして」

林医師は、うなずいた。

「なるほど。
それは、相手の技術の問題というより、
あなた自身の“受け取り方”に違和感があるのかもしれませんね」

「……受け取り方、ですか」

「ええ。
たとえば、“気持ちよさ”って、
単に身体の反応だけじゃなくて、
そのときの関係性や、心の状態にも左右されます」

林医師は、手元のタブレットを操作し、
壁の大きなモニターに、フェラチオシーンを映し出した。

「これは、身体の“快”を感じやすい行動のシーンです。
でも、これはあくまで一般的な傾向。
本当は、一人ひとり違うんです。
あなた自身の“心地よさ”は、どこにあると思いますか?」

山下は、モニターを見つめながら、
自分の身体の奥にある“わからなさ”と向き合っていた。

「……正直、わかりません。
でも、彼女に“こうしてほしい”って、
言えない自分がいるのは、確かです」

林医師は、少しだけ椅子を近づけ、
山下の視線の先を一緒に見つめた。

「言葉にするのは、勇気がいります。
でも、言葉にしないと、
相手もあなたも、迷子になってしまうことがあります」

山下は、静かにうなずいた。
ソファのぬくもりが、
その沈黙をやさしく包んでいた。


山下は、林医師の前で、

自分の言葉がどこまで届くのかを探るように、
ゆっくりと話し始めた。

「……先生、
自分の感覚が、どこか他人のものみたいなんです。
彼女といるときも、
“こう感じるべき”っていう頭が先にあって、
身体がついてこないというか……」

林医師は、静かにうなずいた。

「“感じるべき”という言葉、
それがすでに、あなたの中の緊張を生んでいるのかもしれませんね」

「……じゃあ、どうしたらいいんでしょう」

「まずは、“感じない自分”を責めないこと。
そして、“感じる”ということが、
どういうことなのかを、
一緒に言葉で探していきましょう」


【再訪・受付カウンターにて】

病院の自動ドアが開くと、
山下は少しうつむきながら、受付に歩み寄った。

「……あの、すみません。
前に診てもらった山下です。
その……まだ、うまくいかなくて……」

受付の看護師は、彼の顔を見て、
静かにうなずいた。

「ご自身の状態について、ですね。
本日も林医師をご希望されますか?」

山下は、少し間を置いてから、
小さな声で言った。

「……できれば、
今日は……女性の先生に、お願いできませんか」

看護師は驚いた様子も見せず、
落ち着いた声で答えた。

「かしこまりました。
本日は、午後から婦人科の佐原医師が担当しております。
おつなぎしてもよろしいですか?」

山下は、少しだけ肩の力を抜いて、うなずいた。

「……はい。お願いします」



【再会・静かな部屋の前で】

「山下さん、こちらへどうぞ」

声をかけたのは、
どこか聞き覚えのある声だった。

顔を上げると、そこにいたのは——
かつて、入院中の二日目に担当してくれた男性看護師だった。

一瞬、山下の中に、
あのときの記憶がよみがえる。

——白いカーテンの向こう、
  触れられた感覚と、
  言葉にできなかった戸惑い。

「……あ、どうも」

山下は、少し声を低くして答えた。
看護師も、表情を崩さず、
淡々とした口調で言った。

「今日は、佐原医師の診察をご希望とのことですね。
診察室の準備が整うまで、こちらでお待ちください」

案内されたのは、
診察室とは別の、静かな待機室だった。
壁には観葉植物が置かれ、
窓からは午後の光がやわらかく差し込んでいる。

山下は、椅子に腰を下ろし、
手のひらを膝の上で組んだ。

看護師は、部屋を出る前に、
一度だけ山下の方を見た。

「……何かあれば、すぐに呼んでくださいね」

その声には、
どこかで“あのとき”の続きを気にかけているような、
静かなやさしさがにじんでいた。


山下は、静かな部屋の中で、


かつての記憶が胸の奥でざわめくのを感じていた。

あのとき、何かが変わりかけていた。
けれど、言葉にできず、
ただ沈黙の中に置き去りにしてしまった感覚。

再び顔を合わせた看護師が、
静かに言った。

「……前回の経過をふまえて、
医師に伝えておきますね。
無理のない範囲で、今日は少し丁寧にお話を聞かせてください」

山下は、うなずいた。
その声には、触れることではなく、
“語ること”で確かめようとする静かな誠意
があった。


【静かな再会・記憶の縁にて】

扉が閉まる音が、
まるで水面に落ちた小石のように、
部屋の空気を静かに揺らした。

山下は、深く息を吸い、
椅子の背に身をあずけた。
そこには、かすかに残る記憶の温度——
あのとき、触れられた感覚ではなく、
触れられることを許した自分の、
あの一瞬の“ゆるみ”
が、まだ残っていた。

「……あのとき、もう少しだった気がするんです」

言葉は、誰に向けたものでもなく、
ただ、部屋の静けさに溶けていった。

看護師は、何も言わずにうなずいた。
その沈黙は、拒絶でも同意でもなく、
“覚えている”という、やわらかな証しだった。

「今回は……もしかしたら、
もう少し、奥まで届くかもしれないと思って」

山下の声は、
まるで自分自身に語りかけるようだった。

部屋の隅に置かれた観葉植物が、
午後の光を受けて、
そっと葉を揺らした。



【寄り添うということ】

「……要さんは、ゲイなんですか?」

山下の問いは、
どこか探るようで、
どこか怯えたようでもあった。

要は、少しだけ目を伏せて、
それからまっすぐに山下を見た。

「違いますよ。
でも、あなたの“わからなさ”には、
少しだけ寄り添える気がしたんです」

山下は、黙ってその言葉を受け取った。

「僕も、昔……
自分の感覚が信じられなかった時期があって。
誰かに触れられると、
“感じなきゃいけない”って思ってしまって、
逆に何も感じなくなることがありました」

要の声は、
まるで遠くの水面に落ちる雨音のように、
静かに響いた。

「だから、今日は“触れる”ことが目的じゃなくて、
“感じなくてもいい”ってことを、
一緒に確かめられたらと思ってます」

山下は、少しだけ息を吐いた。
その言葉に、
“できなさ”を責めない空気があった。

「……それなら、お願いしてもいいですか」

「もちろん。
僕は、ただの看護師です。
でも、同じ男として、
“わからなさ”に付き合うことはできます」


要は、そっとタブレットを操作しながら言った。


「音楽、かけましょうか。
森の音、海の音、雨の音……
どれが落ち着きますか?」

山下は、少し考えてから答えた。

「……森の音。
入院してたとき、夜に聞こえてた虫の声とか、
あれが落ち着いた気がします」

「わかりました。
じゃあ、少しだけ音を流しますね。
目を閉じて、深呼吸してみてください」

部屋に流れ始めたのは、
木々の葉が風に揺れる音、
遠くで鳥が鳴く声、
そして、どこかで水が滴るような静かなリズム。

山下は、目を閉じた。
音の中に、自分の輪郭が少しずつ戻ってくるのを感じながら。


要は、そっと音楽のリストを開きながら、

山下に問いかけた。

「森の音、海の音、雨の音……
どれが、今のあなたに近いと思いますか?」

山下は、少し考えてから答えた。

「……森の音。
風が葉を揺らす音とか、
虫の声とか……
そういうのを聞いてると、
自分の輪郭が少しだけ戻ってくる気がするんです」

要はうなずき、
静かに再生ボタンを押した。

部屋に流れ始めたのは、
木々のざわめき、遠くの鳥の声、
そして、どこかで水が滴るような音。

山下は、目を閉じた。
音の中に身をゆだねながら、
“何も起きなくていい”という安心を、
少しずつ取り戻していった。


【決意・待合室にて】

「もうすこしなのになあ」

山下のつぶやきに、
要は静かにうなずいた。

「……では、今度は1か月、入院してみますか?」

その提案は、
まるで“生活のリズム”そのものを
一度、森の奥に預けてみるような響きだった。

「ぜひお願いします。
生活、変えたいんです」

要は、少しだけ表情をやわらげた。

「わかりました。手配します。
先生にも相談してみますので、
いったんお部屋を出て、待合室でお待ちください」

山下は立ち上がり、
ゆっくりとドアの方へ向かった。

「会社にお勤めでしたら、
必要に応じて連絡をお願いしますね」

「はい……たぶん、
もう、戻らないかもしれませんけど」

その言葉は、
どこか吹き抜ける風のように、
軽くて、でも深かった。


【入院初日・静かな再起】

朝6時、やわらかなチャイムが鳴る。
山下は、まだ薄暗い病室の天井を見つめながら、
静かに目を覚ました。

ここでは、
たばこも、お酒も、ジュースも、コーヒーもない。
代わりにあるのは、
水の透明さと、呼吸のリズム、
そして、整えられた時間の流れ。

朝食は、栄養士が組んだ献立。
湯気の立つ味噌汁、
やわらかく炊かれた雑穀ごはん、
そして、ほんのり甘い卵焼き。

「これが、僕の“再起動”なんだな」

山下は、箸を持つ手を見つめながら、
そうつぶやいた。

午前中は、リハビリ室でのトレーニング。
機械の指示に従って、
身体の奥に眠る感覚を、少しずつ呼び起こしていく。

「焦らなくていいですよ」
担当の理学療法士が、
淡々と、けれど温かく声をかける。

“強くする”のではなく、
“思い出す”ように。

山下は、機械の動きに合わせて、
自分の身体と、
そして心の奥にある“まだ動ける何か”を探していた。


【訓練室・静かな反復】

午後の光が差し込むリハビリ室。
山下は、機械の前に立ち、
トレーナーの指示に従って、
ゆっくりと身体を動かしていた。

「はい、背筋を伸ばして、
腰を前に出すように意識してみましょう」

トレーナーの女性は、
淡々と、けれど丁寧に声をかける。

スクワット、体幹の安定、
呼吸と動作の連動。
それはまるで、
“自分の中心を取り戻す”ための儀式のようだった。

「焦らず、でも諦めずに。
身体は、ちゃんと覚えていますから」

山下は、汗をぬぐいながらうなずいた。
“できるようになる”ことよりも、
“向き合えるようになる”ことが、
今の自分には大切なのかもしれない。


【再会・11時の光】

入院生活が始まって、ちょうど一週間。
山下は、午前のリハビリを終え、
ベッドに腰を下ろしていた。

そのとき、
カーテンの向こうから、
やわらかな足音が近づいてきた。

「山下さん、こんにちは」

顔を上げると、そこにいたのは——
晴子さんだった。

白衣の上に、淡いグレーのカーディガン。
手には、温かいお茶の入った紙コップ。

「少し、歩きませんか?
以前のように、特別室まで」

その言葉に、
山下の中で、何かがふっとほどけた。

「……はい。行きましょう」

二人は並んで歩き出す。
廊下の窓から差し込む光が、
床に長い影を落としていた。

言葉は少なかったけれど、
その沈黙には、
“またここから始めてもいい”という、
小さな合図
が含まれていた。


【名前の揺らぎ】

「佐々木さん、こんにちは」

その声に、山下は一瞬、足を止めた。

——佐々木?

晴子さんは、いつものように微笑んでいた。
けれど、その口元からこぼれた名前は、
山下の中に眠っていた“もう一つの自分”を呼び起こすようだった。

「……あの、僕……」

そう言いかけたとき、
晴子さんはふっと目を伏せて、
静かに言った。

「ごめんなさい。
でも、あなたが“佐々木さん”だった頃のほうが、
少しだけ、呼吸が楽だった気がして」

山下は、何も言わずにうなずいた。
名前は、ただの記号じゃない。
誰かに呼ばれることで、
そのときの自分が立ち上がってくる。

「……じゃあ、今日は佐々木でいきます」

「ありがとう」

二人は、再び歩き出した。
特別室へと続く廊下に、
午後の光が静かに満ちていた。



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【特別室・記憶のなかの配置】

「さあ、あの時みたいに」

晴子さんの声は、
どこか懐かしく、けれど少しだけ遠かった。

山下は、特別室のベッドのそばに立ち、
しばらくその白いシーツを見つめていた。

あのときと同じ、
窓の位置、カーテンの色、
そして、微かに香るリネンの匂い。

「……上向きで、ここに寝てください」

その言葉に、
山下はゆっくりとうなずき、
ベッドに身をあずけた。

天井の模様が、
記憶の中のそれと少し違って見えた。

“同じ場所”に戻ってきたはずなのに、
自分の中の何かが、確かに変わっている。

晴子さんは、そっとカーテンを引いた。
外の光がやわらかく遮られ、
部屋の中に、静かな影が落ちる。

「今日は、無理しないで。
ただ、ここにいるだけでいいんです」

山下は目を閉じた。
その言葉に、
少しだけ呼吸が深くなった。


「佐々木さん、

……わたしを、彼女だと思って」

その言葉は、
まるで遠い記憶の中から届いたようだった。

佐々木は、目を閉じた。
まぶたの裏に浮かぶのは、
あの頃の笑い声、
触れた指先、
言葉にならなかったまなざし。

“思い出す”ことと、
“今ここにいる”ことのあいだで、
心が静かに揺れていた。

「……できるかな」
「できなくても、いいんです。
でも、わたしは、あなたのそばにいます」

その声に、
佐々木は、ほんの少しだけうなずいた。


佐々木は、しばらく沈黙していたが、

やがて、ぽつりとつぶやいた。

「……なんだか、元気になれそうです」

その言葉に、
晴子は少しだけ目を細めた。

「そう思えたなら、よかった。
あなたの“正直”は、ちゃんと届いてますよ」

佐々木は、天井を見上げたまま、
自分の胸の奥にある、
小さな火種のようなものを感じていた。

それは、誰かに触れられたことで灯った、
まだ消えていなかった“生きようとする感覚”。


佐々木は、ふいに身体の奥からこみ上げてくる感覚に、

自分でも驚いていた。

「……晴子さん、僕……ちょっと、無理かもしれません。
こそばゆいというか……なんだか、うまく言えないけど」

その言葉に、晴子は手を止めた。

「わかったわ。無理しないで。
ここは、あなたが“安心できる場所”であってほしいから」

佐々木は、少しだけ息を整えた。
そのまま、天井を見上げながらつぶやく。

「ありがとう。
ちゃんと、言ってよかったです」

「うん。ちゃんと聞こえたよ」

部屋の中に、静かな時間が流れた。
“やめてください”が通じる世界。
それは、佐々木にとって、
初めての“安心”だったのかもしれない。


【静かな境界】

佐々木は、ふいに身体の奥からこみ上げてくる感覚に、
自分でも戸惑っていた。

言葉にするのが難しい。
でも、黙っているのは、もっと苦しかった。

「……晴子さん、僕……ちょっと、やめてください。
なんだか、こそばゆくて……」

声はかすれていたけれど、
確かに届いた。

晴子は、すぐに手を止めた。
そして、静かにうなずいた。

「わかったわ。無理しないで。
あなたのペースで、いいのよ」

その言葉に、佐々木はほっと息をついた。
胸の奥にあった緊張が、少しずつほどけていく。

“やめて”が通じる世界。
それは、どこか遠くに置き忘れていた安心だった。

「ありがとう」
「こちらこそ、言ってくれてありがとう」

部屋の中に、静かな光が差し込んでいた。
それは、言葉よりもやさしく、
二人のあいだに流れていた。



【静かなケア】

晴子は、そっとタオルを濡らし、
やわらかく絞った。

「少し、落ち着きましょうか。
こちらのお風呂、使ってください。
静かで、ひんやりしていて、気持ちがいいんです」

佐々木は、うなずいた。
言葉はなかったけれど、
その目には、どこか安堵の色がにじんでいた。

晴子は、タオルをそっと手渡した。
「ゆっくりでいいですよ。
誰にも急かされない時間ですから」

佐々木は、タオルを受け取り、
浴室の扉を開けた。

湯気のない、静かな空間。
白いタイルと、
窓から差し込むやわらかな光。

冷たい水の感触が、
さっきまでのざわめきを、
少しずつ洗い流していく。


【ひとり言・記憶の重なり】


浴室から戻った佐々木は、
ベッドの端に腰を下ろし、
濡れた髪をタオルで拭きながら、
ふと、つぶやいた。

「……晴子さんの、あの動き……
なんだか、彼女を思い出したな」

声は小さく、
誰にも届かないような音量だった。

けれどその言葉には、
過去の記憶と、今の感覚が交差する瞬間が、
確かに宿っていた。

「……今度、彼女にも……」

そこまで言って、
佐々木は言葉を飲み込んだ。

思い出すことと、
今を生きることのあいだには、
まだ越えきれない静かな距離があった。


【記録・静かな観察】

「佐々木さん、
……以前の2日間より、ずっと落ち着いていましたね」

晴子は、そう言いながら、
白衣のポケットから小さなメモ帳を取り出した。

「今夜のこと、記録しておきますね。
あなたの変化、大事にしたいから」

佐々木は、少しだけうなずいた。
晴子の声は、いつもと変わらず穏やかで、
どこか“生活の一部”のように自然だった。

ペンの走る音が、
静かな部屋にやさしく響く。

何を記録しているのか、
細かくはわからない。
けれど、そこには確かに、
“見守られている”という感覚があった。

「……無理はしていませんか?」

「はい。大丈夫です。
少しずつ、ですけど」

晴子はうなずき、
メモ帳を閉じた。

「それでいいんです。
少しずつ、で」


【記録の時間】

夜の病棟は、昼間のざわめきが嘘のように静かだった。
晴子は、ナースステーションの片隅で、
カルテを開き、ペンを走らせていた。

「佐々木さん、今日はよく頑張っていた。
表情も、動きも、少しずつ変わってきている」

そう書きながら、
彼女はふと手を止めた。

数字や所見だけでは書ききれない、
あのときの沈黙や、目の奥の揺れ。
それもまた、確かな“変化”の一部だった。

「……記録って、
ほんとは“見守る”ってことなのかもしれないな」

小さくつぶやいて、
晴子はまたペンを動かし始めた。



【静かな沈黙】

特別室の帰り道、
晴子はふと、何気なく言った。

「……でも、あのとき、
どうして黙ってしまったの?」

佐々木は、答えなかった。
答えられなかった。

“どうして”と聞かれるたびに、
自分の中の何かが、
すっと冷えていくのを感じていた。

——わからなかったんだ。
なぜ拒まれたのか。
何がいけなかったのか。
どうすればよかったのか。

その“わからなさ”が、
言葉を奪い、
動きを止め、
期待することすらやめさせた。

怒りでも、悲しみでもない。
ただ、動かなくなっただけだった。

晴子の足音が、廊下に響く。
佐々木は、ゆっくりと歩きながら、
心の奥で、
あの夜の沈黙をもう一度なぞっていた。


【特別室・境界のなかで】


特別室の静けさは、
まるで時間の流れを忘れさせるようだった。

佐々木は、ベッドの端に腰を下ろし、
手のひらを見つめていた。

「……ここを出なきゃいけないのは、わかってるんです」

晴子は、黙ってうなずいた。
その表情に、責める色はなかった。

「でも、どうしても……
ここで、終わらせたかったんです。
何かを、ちゃんと……」

言葉は途中で途切れた。
けれど、その沈黙の中に、
佐々木の“どうしても”が、確かに息づいていた。

晴子は、そっと視線を落とした。
そして、静かに言った。

「……あなたの気持ちは、ちゃんと受け取りました。
でも、ここは“ひとりになれる場所”ではないんです。
それだけは、覚えていてくださいね」

佐々木は、ゆっくりとうなずいた。
その目には、
少しだけ、
“終わらせる”ことの意味を見つけたような光が宿っていた。


【見守るということ】

特別室の空気は、
まるで水の中のように静かだった。

佐々木は、言葉を探していた。
けれど、うまく見つからなかった。

晴子は、そんな彼の様子を見つめながら、
そっと言った。

「……ここにいるわ。
あなたが、どこへ向かおうとしても。
恥ずかしいことなんて、何もないのよ」

その声は、
責めるでも、急かすでもなく、
ただ、“見守る”という行為そのものだった。

佐々木は、目を伏せた。
胸の奥で、何かがほどけていくのを感じた。

「できそうなら、今」
その言葉は、命令ではなく、
“選んでいい”という許しだった。



【白いカモメ】

静まり返った特別室の中で、
晴子はただ、立ち尽くしていた。

そのときだった。
窓の向こう、
まるで呼応するように、
白いカモメが数羽、空へと舞い上がった。

羽ばたきは軽やかで、
けれどどこか、
長く閉じ込められていたものが
ようやく解き放たれたような、
そんな気配をまとっていた。

晴子は、そっと目を細めた。

「……飛んでいったのね」

誰に言うでもなく、
けれど確かに、
その瞬間を見届けたのだった。


【カモメの返事】


「……白いカモメが、飛んでいったんです」

佐々木の言葉に、
晴子は一瞬だけ目を見開いた。
けれど、すぐにその意味を悟ったように、
やわらかく微笑んだ。

「そう。
きっと、あなたの中にあったものが、
ようやく空を見つけたのね」

佐々木は、少しだけ照れたようにうなずいた。
けれど、その頬には、どこか晴れやかな色が差していた。

「……見てくれて、ありがとう」

「ええ。ちゃんと見てたわ。
あなたが、あなたでいられるように」

言葉にしなくても、
伝わるものがある。
それを信じられる時間が、
ようやく訪れたのかもしれない。



【あと3週間】

佐々木は、窓の外を見つめながら、
ぽつりとつぶやいた。

「……まだ、彼女にちゃんと向き合えてない。
このままじゃ、きっと届かない」

晴子は、そっと彼の隣に腰を下ろした。
言葉はなくても、
その沈黙は、責めるものではなかった。

「……でも、あと3週間。
もう少しだけ、頑張ってみようと思います」

その声には、
どこか自分自身に言い聞かせるような、
けれど確かな熱が宿っていた。

“満たす”という言葉ではなく、
“届く”という願い。
それが、彼の中で芽生え始めていた。


【差し出されたもの】


「佐々木さん、
このままじゃ……彼女、離れてしまうかもしれないわ」

晴子の声は、静かだった。
けれど、その奥には、
“あなたを責めたいわけじゃない”という思いがにじんでいた。

「だから、これは……
あなたの代わりに、
彼女のそばにいてくれるかもしれないもの」

そう言って、
晴子は小さな箱を差し出した。

佐々木は、目を伏せたまま、
その箱を見つめた。

「……それで、いいんでしょうか」

「いいかどうかじゃないの。
あなたが、どうしたいか。
それだけよ」

満たすことと、寄り添うことは、
ときに違う形をしている。
けれど、どちらも“愛したい”という気持ちから生まれるのだと、
晴子は知っていた。


【約束のことば】

晴子は、そっと目線を落としながら言った。

「……ちゃんと、彼女と話し合って使うのよ。
そうしないと、きっとすれ違ってしまうから」

佐々木は、黙ってうなずいた。
その表情には、少しの戸惑いと、
それ以上に、“向き合おう”とする決意がにじんでいた。

「……約束だからね」

その言葉は、
まるで小さな灯りのようだった。
迷いの中にいる彼にとって、
進むべき道を照らす、
静かな光。


【知らなかったこと】

「……僕、こういうの、
雑誌とかでは見たことあるんです。
でも、実際に使ったことなんて、なくて」

佐々木は、手のひらを見つめながら言った。
その声には、恥ずかしさよりも、
“知らないことを知らないままにしてきた”ことへの戸惑いがにじんでいた。

晴子は、静かにうなずいた。

「知らないことは、悪いことじゃないわ。
でも、知ろうとすることは、大切よ。
誰かと向き合うって、そういうことだから」

佐々木は、少しだけ目を伏せた。
けれどその頬には、
ほんのりとした赤みと、
“これから知っていこう”とする意志が宿っていた。


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