
【イラスト説明】「稽古を終えた彼女は知らない。
この日の疲れを癒やす相手が、 “奈々”という名の女性であることを。」
この日の疲れを癒やす相手が、 “奈々”という名の女性であることを。」
志穂は社会人二年目。
仕事終わりにそのまま道場へ向かうのが、ここ最近の習慣になっていた。
剣道は学生の頃から続けている大切な趣味で、
忙しい日々の中で唯一“自分に戻れる時間”でもある。
だからこそ、稽古の後の身体の重さは、
今日ここに来た理由を静かに物語っていた。
金曜の午後。
一週間の疲れが街にゆっくりと沈んでいく時間帯。
スーパー銭湯の自動ドアが静かに開き、
一人の女性が足を踏み入れた。
落ち着いた服装の成人女性。
仕事帰りなのか、肩の力が少し抜けている。
靴を脱ぎ、ロッカーに入れる。
その動作には、今日ここに来た理由が滲んでいた。
「疲れを落としたい」「自分を整えたい」
そんな思いが、静かに背中に乗っている。
受付に向かうと、スタッフが微笑んだ。
「いらっしゃいませ。ご利用はお風呂だけでよろしいですか」
女性は少しだけ息を整え、
落ち着いた声で答える。
「お風呂と……洗体をお願いします」
その言葉に、受付の女性は慣れた様子で頷く。
「かしこまりました。洗体は女性専用のケア室になります。
防音になっておりますので、安心してご利用いただけます」
女性はほっとしたように微笑む。
予約票を受け取り、ロッカー室へ向かう廊下を歩きながら、
胸の奥にある小さな緊張と期待を抱えていた。
この時、彼女はまだ知らない。
今日、自分を担当する“洗体女子”が、
どんな女性で、どんな手つきで、
どんな想いでこの仕事をしているのかを。
そして——
その女性の名前が **奈々** であることも。
物語は、静かに動き始めていた。
館内放送が、控えめな音量で流れた。
「洗体スタッフの奈々さん、受付までお願いします」
奈々はタオルを畳んでいた手を止め、
「はい」と小さく返事をしてスタッフルームを出た。
白いTシャツにベージュのエプロン。
落ち着いた歩き方だが、どこか柔らかい雰囲気をまとっている。
受付に着くと、フロントの女性が声をかけた。
「奈々さん、30分後に洗体の予約が入りました。
お客様は先にお風呂に入られるそうですので、
時間になったら奈々さんの部屋へご案内しますね」
奈々は丁寧に頷く。
「わかりました。準備しておきます」
その返事は静かだが、
仕事に向かう時の“切り替え”が感じられる声だった。
奈々は受付を離れ、
自分の担当する洗体室へ向かう。
通路の奥、外から見えない位置にある防音のケア室。
女性たちが安心して身体を預けられるように設計された空間。
ドアを開けると、
柔らかな照明と、清潔なタオルの匂いが迎えてくれる。
奈々はエプロンの紐を結び直し、
施術台のタオルを整えながら、
これから来る“今日最初のお客様”のことを思った。
「30分後か……ゆっくり準備しよう」
静かな独り言が、
防音の部屋にそっと溶けていった。
志穂はロッカーで服を畳み、
タオルを手に浴場へ向かった。
湯気がふわりと広がり、
稽古で張りつめていた肩の力が少し抜ける。
まずは掛け湯をしてから、
ゆっくりと湯船へ身体を沈めた。
「ああ……」
思わず小さく息が漏れる。
熱すぎない湯が、稽古で固まった筋肉をほどいていく。
腕、肩、背中。
竹刀を振り続けた部分がじんわりと温まっていくのがわかる。
湯船の縁に頭を預け、
志穂は静かに目を閉じた。
体育館の床の匂い、
面の中の熱気、
小手に染みついた汗の感触。
今日の稽古の残り香が、
湯気の中でゆっくりと薄れていく。
周囲には、同じように一週間の疲れを落としに来た女性たちの
静かな気配だけがある。
志穂は湯から上がり、
洗い場で髪をほどき、
丁寧にシャンプーを泡立てた。
湯気に包まれながら、
肩の重さが少しずつ軽くなっていく。
時計を見ると、
そろそろ30分が経とうとしていた。
「……そろそろ、行かないと」
タオルで髪を押さえながら、
志穂はロッカーへ戻る。
このあと、自分を担当する“奈々”という女性と
初めて会うことになるとは、
まだ知らないまま。
30分後。
【イラスト説明】「この扉の向こうに来る女性が、
奈々にとって“初めての志穂”になる。」
30分後。
ロッカーで髪を軽く整えた志穂は、
受付スタッフに案内されて廊下を歩いていた。
ロッカーを出て廊下を歩きながら、志穂は前回来たときのスタッフの顔を思い出していた。
——今日も、あの人が担当なのかな。
そんな小さな予想が胸の中に浮かんでいた。
けれど、案内された扉が静かに開いた瞬間、
そこに立っていたのは見覚えのない女性だった。
「奈々と申します。本日担当させていただきます」
その柔らかな声を聞いた瞬間、
志穂は静かに気づいた。
——今日は、前とは違う人なんだ。
「こちらが、奈々の部屋になります」
スタッフが軽くノックし、
静かにドアを開ける。
中は柔らかな照明で、
湯気とは違う、清潔なタオルの匂いが漂っていた。
その中央に、奈々が立っていた。
白いTシャツにベージュのエプロン。
姿勢はまっすぐで、
けれどどこか柔らかい雰囲気をまとっている。
奈々は志穂に向かって、
ゆっくりと微笑んだ。
「本日担当させていただきます、奈々と申します。
どうぞ、よろしくお願いします」
その声は落ち着いていて、
初対面の緊張をそっとほどくような響きだった。
志穂は少しだけ会釈を返す。
「お願いします……」
奈々は志穂の様子を一度だけ丁寧に見て、
安心させるように続けた。
「お風呂で温まってきてくださったんですね。
身体、少し軽くなりましたか」
志穂は小さく頷く。
「はい、だいぶ……」
奈々はその返事に優しく微笑み、
施術台のタオルを整えながら言った。
「では、無理のない姿勢でお座りください。
お疲れのところを、ゆっくりほぐしていきますね」
その所作はひとつひとつが静かで、
慣れているのに押しつけがましくない。
タオルを広げる手つき、
施術台の高さを調整する動き、
志穂の視線に合わせて目線を下げる仕草。
どれも“仕事としての丁寧さ”と、
“相手を気遣う柔らかさ”が同時に宿っていた。
志穂はその空気に、
自然と肩の力が抜けていくのを感じていた。
奈々は最後に、
静かに確認するように声をかけた。
「今日は、ゆっくりしていってくださいね」
「では、両腕を少し広げてくださいね。脇の下を流していきます」
奈々の声はいつも通り落ち着いているのに、
志穂の胸の奥がふっとざわついた。
うつ伏せのまま腕を広げると、
空気に触れた脇のあたりが急に心細くなる。
「くすぐったかったら言ってくださいね。力を入れなくて大丈夫ですよ」
奈々はそう言いながら、
泡立てたスポンジを脇の下へそっと滑らせた。
触れているのはスポンジなのに、
志穂の呼吸がわずかに乱れる。
「……すみません、ちょっと緊張してて」
「大丈夫ですよ。皆さん、最初はそうなんです」
奈々の声は、
恥ずかしさを包み込むように柔らかかった。
脇の下から腕の付け根、
肩のラインへとスポンジが移動していくたびに、
志穂の身体はわずかに反応してしまう。
奈々はその変化に気づいても、
何も言わず、ただ丁寧に動きを続けた。
「では、タオルを少し外しますね。足を流していきます」
腰にかけられていた大きなタオルが、
ふわりと持ち上げられる。
露わになった足に、
志穂は思わず指先に力を入れた。
「緊張してますね。大丈夫ですよ、無理はしないので」
奈々の声は、
まるで深呼吸を促すように静かだった。
泡のついたスポンジが、
ふくらはぎから太ももへ、
内側へとゆっくり滑っていく。
触れられているのは“ケアとしての動き”なのに、
志穂の心は落ち着かなくなる。
「……すみません、なんだか」
「大丈夫です。こういう時は、身体が敏感になるものなんですよ。
恥ずかしがらなくて大丈夫です」
奈々の言葉は、
志穂の緊張をそっと受け止めるようだった。
志穂は目を閉じ、
奈々の一定のリズムに合わせるように
ゆっくり呼吸を整えていった。
奈々の手つきが、背中の張りを正確に捉えていく。
「ここ、かなり頑張ってますね。剣道の方ですか?」
その一言で、志穂の胸がふっと揺れた。
——どうして、こんなにわかるんだろう。
初めて会ったはずなのに、
まるで自分のことを前から知っていたみたいに、
奈々の言葉がすっと心に入ってくる。
ああ……
もしかして、これって——
志穂は自分の中に生まれた感情に
名前をつけられずにいた。
「では、上向きになってくださいね。新しいタオルをかけますので」
奈々の声はいつも通り落ち着いていた。
志穂がゆっくり仰向けになると、
奈々は清潔なタオルをそっと広げ、
下腹部にふわりとかけてくれた。
「はい、これで安心してくださいね。見えないようにしていますから」
その気遣いに、志穂の胸の奥がまた温かくなる。
「剣道以外にも、何か好きなことありますか?」
奈々がタオルの端を整えながら、
ふと優しい声で問いかけた。
「え……あ、えっと……映画とか、料理とか……」
「いいですね。どんな料理が好きなんですか?」
志穂は少し戸惑いながらも、
奈々の柔らかい視線に押されるように答えていく。
「和食が多いです。煮物とか……落ち着くので」
「わかります。そういう“自分に合う味”って大事ですよね」
奈々の言葉は、
まるで志穂の心の奥をそっと覗いているようだった。
——この人、どうしてこんなに自然に距離を縮めてくるんだろう。
志穂は胸の奥がまた少し熱くなるのを感じていた。
奈々の手つきが、次第にゆっくりとした動きへ変わっていく。
泡の流れる音だけが、静かな部屋に淡く響いていた。
「……これで、全身ひと通り終わりましたよ」
奈々の声は落ち着いているのに、
どこか名残惜しさを含んでいた。
志穂は仰向けのまま、
胸の上でそっと指を組んだ。
その瞬間、
奈々の手がタオル越しに“ほんの少しだけ”下腹部の近くを通り過ぎた。
触れてはいない。
けれど——
志穂の呼吸が、わずかに止まった。
——どうして、こんなに意識してしまうんだろう。
奈々は何事もなかったように、
新しいタオルをふわりと広げて志穂の下腹部にかけ直した。
「はい、これで安心してくださいね。冷えないようにしておきます」
その気遣いが、
かえって志穂の胸の奥を静かに揺らす。
奈々はタオルの端を整えながら、
ふと優しい声で続けた。
「剣道以外にも、好きなことありますか?」
「え……あ、映画とか……料理とか……」
「いいですね。どんな料理が好きなんですか?」
志穂は戸惑いながらも、
奈々の柔らかい視線に押されるように答えていく。
会話は短いのに、
距離がゆっくりと近づいていくような感覚があった。
奈々は最後に、
志穂の肩にそっとタオルをかけ直しながら微笑んだ。
「お疲れさまでした。
このあと、軽くシャワーを浴びてからお帰りくださいね」
その声は、
施術の終わりを告げるはずなのに、
どこか温度が残っていた。
奈々は静かに一礼し、
扉へ向かって歩き出す。
志穂は胸の奥に手を当て、
自分でも説明できない鼓動の速さに気づいていた。
——触れられていないのに、どうしてこんなに。
扉が閉まる直前、
奈々が振り返って小さく微笑んだ。
「また、お待ちしていますね」
その一言が、
志穂の心に静かに落ちていった。
シャワーの温かい水が肩を流れ落ちていく。
志穂は目を閉じ、
さっきまで触れていた奈々の手つきと声を思い返していた。
——どうして、あんなに落ち着くんだろう。
背中に触れたときの確かな感触。
タオルをかけ直してくれたときの優しさ。
距離が近いのに、不思議と怖くない。
むしろ——
胸の奥が静かに熱くなる。
「……変だな、私」
自分の頬が少し熱いことに気づき、
志穂はシャワーの水でその熱を誤魔化すように顔を洗った。
触れられていないのに、
どうしてあんなに意識してしまったんだろう。
奈々の声が、
まだ耳の奥に残っている気がした。
銭湯を出ると、夜風が少しひんやりしていた。
髪をタオルで押さえながら歩く帰り道。
街灯の光が、濡れた髪に静かに反射する。
志穂は胸の奥に手を当てた。
——なんで、こんなに鼓動が速いんだろう。
施術が終わる直前、
奈々がふと見せたあの柔らかい笑顔。
「また、お待ちしていますね」
その一言が、
何度も頭の中で繰り返される。
初めて会った人なのに、
どうしてこんなに気になるんだろう。
「……これって、恋……なのかな」
声に出した瞬間、
自分で驚いてしまう。
でも、否定できなかった。
胸の奥に残った温度は、
疲れでも、緊張でもない。
もっと静かで、
もっと優しくて、
もっと……あたたかい。
志穂は夜空を見上げ、
小さく息を吐いた。
「また……会いたいな」
その言葉は、
誰に聞かれることもなく、
夜の空気にそっと溶けていった。
「……ここだけの話なんですけど」
奈々が声を落とした。
志穂は思わず息をのむ。
「私、こうして二回目に来てくださる方って、
少し特別に感じてしまうんです。
だから……他の方には言わないでくださいね」
その言葉は、
秘密を共有するような響きを持っていた。
志穂の胸がふっと熱くなる。
——どうして、こんなに心が揺れるんだろう。
触れられていないのに、
奈々の距離が前より近く感じる。
「……はい。誰にも言いません」
自分でも驚くほど素直な声が出た。
奈々は静かに微笑んだ。
「ありがとうございます。
なんだか……嬉しいです」
二回目の施術は、前回よりもずっと静かで、
どこか親密な空気が流れていた。
奈々の手つきは丁寧で、
触れているのは“ケアとしての動き”なのに、
志穂の胸の奥がふっと熱くなる瞬間が何度もあった。
——どうして、こんなに意識してしまうんだろう。
奈々の声、距離、呼吸。
どれも前より近く感じる。
志穂は自分の反応に戸惑いながらも、
奈々の動きから目を離せなかった。
「志穂さん、今日は前よりリラックスされてますね」
奈々がふと、柔らかく微笑んだ。
「ここは防音になっているので、
周りを気にせず、呼吸を楽にしてくださいね。
前回、少し緊張されていたように見えたので……」
その言葉は、
まるで二人だけの秘密を共有しているようだった。
志穂の胸が静かに跳ねる。
——私のこと、見てくれていたんだ。
施術が終わる頃には、
志穂の心はすっかり奈々に向いていた。
——もっと、この人のことを知りたい。
胸の奥に芽生えた気持ちは、
もう隠せないほど大きくなっていた。
二回目の施術が終わる頃には、
志穂の胸の奥に、前とは違う温度が残っていた。
——もっと、この人のことを知りたい。
仕事場の人間関係とは違う、
気を張らなくていい誰か。
そんな存在が、ずっと欲しかったのかもしれない。
奈々の落ち着いた声、
丁寧な所作、
ふと見せる柔らかい笑顔。
どれも志穂の心に静かに残っていた。
帰り際、志穂は思い切って声をかけた。
「あの……もしよかったら、
今度、喫茶店でお話ししませんか」
言った瞬間、胸が跳ねる。
奈々は少し驚いたように目を瞬かせ、
すぐに優しく微笑んだ。
「……はい。私も、志穂さんとお話ししてみたいです」
その返事は静かで、
けれど確かに温度を帯びていた。
午後の光がガラス越しに差し込むドトールのオープン席。
志穂は先に席に着き、
冷たいオレンジジュースのストローを指先で軽く回していた。
落ち着かない胸の鼓動をごまかすように。
——来てくれるかな。
いや、来るって言ってくれたんだから。
そんなことを考えていると、
店内のドアが開く音がして、
奈々が静かに歩いてきた。
「お待たせしました」
その声だけで、
志穂の胸がふっと軽くなる。
奈々は向かいの席に座り、
アイスティーのカップをそっと置いた。
「ここ、明るくていいですね。
志穂さん、こういう場所好きですか?」
「はい……落ち着きます」
そう答えた瞬間、
志穂の手が無意識にストローへ伸びた。
同じタイミングで、
奈々も自分のカップを動かそうとして手を伸ばす。
——コツン。
二人の指先が、
ほんの一瞬だけ触れた。
触れたのは一秒にも満たない。
けれど志穂の胸は、
その一瞬で静かに跳ねた。
「……すみません」
「いえ……こちらこそ」
奈々は少しだけ笑った。
その笑顔が、
ガラス越しの光に照らされて柔らかく揺れる。
志穂はストローをそっと口に運びながら、
胸の奥の熱を落ち着かせようとした。
オレンジジュースの甘さが、
さっき触れた指先の温度と混ざっていくような気がした。
奈々はアイスティーを一口飲み、
ふと視線を上げた。
「志穂さんと、こうしてお話しできて……嬉しいです」
その言葉は、
飲み物よりもずっと甘く、
志穂の胸に静かに染み込んでいった。
指先が触れたあとの、ほんの短い沈黙。
けれどその沈黙は気まずさではなく、
どこか温かい余韻を含んでいた。
奈々はアイスティーのストローを軽く動かしながら、
ふと視線を上げた。
「志穂さんって、普段はどんなお仕事されてるんですか?」
「事務職です。忙しい時期はバタバタですけど……
剣道があるから、なんとか保ててる感じで」
「剣道、素敵ですね。
前回、背中の張りで“あ、この人は頑張ってるな”って思いました」
志穂は思わず笑ってしまった。
「そんなところで分かるんですか?」
「分かりますよ。
身体って、頑張ってる人ほど素直に教えてくれるんです」
奈々の言葉は、
施術のときと同じように柔らかくて、
どこか安心させる響きがあった。
志穂はオレンジジュースのストローを指で回しながら、
少し勇気を出して聞いてみた。
「奈々さんは……普段、どんな生活してるんですか?」
奈々は少し驚いたように目を瞬かせ、
すぐに穏やかに微笑んだ。
「私ですか?
うーん……たいしたものじゃないですよ」
「聞きたいです。奈々さんのこと」
その一言に、奈々の表情がほんの少しだけ緩んだ。
「……じゃあ、少しだけ」
奈々はアイスティーを一口飲み、
グラスを静かに置いた。
「実は、私……ひとり暮らしなんです。
仕事の時間が不規則だから、誰かと合わせるのが難しくて」
「そうなんですね」
「でも、仕事は好きですよ。
“誰かの疲れを軽くできる”って、すごく嬉しいんです」
その言葉は、
施術室で聞いた声よりもずっと近く感じた。
志穂は胸の奥がじんわりと温かくなる。
「奈々さんって……優しいですね」
「そんなことないですよ。
ただ……志穂さんみたいに、
頑張ってる人を見ると、つい気持ちが入っちゃうんです」
奈々は照れたように笑った。
その笑顔が、
ガラス越しの光に照らされて柔らかく揺れる。
志穂は思わず、
胸の奥に手を当てたくなるほどの温度を感じていた。
——この人のこと、もっと知りたい。
その気持ちは、
もう隠せないほど静かに大きくなっていた。
アイスティーの氷が、カランと小さく鳴った。
奈々がストローを指で軽く押しながら、
ふと窓の外に視線を向ける。
「最近、ありがたいことに忙しくて……
でも、ちょっと疲れが溜まっちゃってるんです」
その言葉に、志穂の胸が静かに揺れた。
——やっぱり、人の身体に触れる仕事って大変なんだ。
志穂はオレンジジュースのカップを両手で包み込み、
少しだけ勇気を出して口を開いた。
「あの……奈々さん」
奈々がゆっくりと視線を戻す。
「はい?」
「こんど……私、平日にお休みがあって。
もしよかったら、一緒に熱田神宮に参拝しませんか」
奈々は少し驚いたように目を瞬かせた。
志穂は続ける。
「奈々さん、人の身体に触れるお仕事だから……
変な“気”とか、もらっちゃうこともあるんじゃないかなって。
だから……お祓いっていうか、
気持ちを整える時間になればいいなって思って」
言いながら、胸の奥が少し熱くなる。
——本当は、ただ一緒に行きたいだけなのに。
奈々はしばらく志穂の顔を見つめ、
ゆっくりと微笑んだ。
「……そんなふうに考えてくれる人、初めてです」
その声は、
施術室で聞いたときよりもずっと柔らかかった。
「嬉しいです。
私、神社好きなんです。
熱田神宮……いいですね。行きたいです」
志穂の胸がふっと軽くなる。
「ほんとに?よかった……」
奈々はアイスティーを一口飲み、
照れたように笑った。
「志穂さんって……優しいですね。
そういうところ、すごく素敵だと思います」
その言葉は、
午後の光よりも温かく志穂の胸に落ちていった。
結婚式の一行がゆっくりと遠ざかっていく。
その背中を見送ったあと、
奈々がふと志穂の方を向いた。
「……せっかく来たし、
このまま一周してみませんか?」
志穂は少し驚き、
すぐに微笑んだ。
「はい。私も、そう思ってました」
ふたりは参道を外れ、
森の奥へ続く静かな道へと歩き出した。
木々が高く伸び、
光が葉の隙間からこぼれて揺れている。
鳥の声、風の音、
砂利を踏むふたりの足音だけが響く。
奈々が小さく息を吸った。
「ここ……すごく落ち着きますね。
仕事の疲れが、少し抜けていく感じがします」
志穂は横目で奈々を見た。
「奈々さん、いつも人の身体に触れてるから……
こういう場所、必要なんじゃないかなって思って」
奈々は歩みを緩め、
志穂の言葉を噛みしめるように微笑んだ。
「……志穂さんって、本当に優しいですね。
そんなふうに考えてくれる人、あまりいないんです」
志穂の胸がふっと熱くなる。
「いえ……なんとなく、そう思っただけで」
「“なんとなく”で、こんな場所に誘ってくれる人、いませんよ」
奈々の声は柔らかくて、
森の空気に溶けていくようだった。
ふたりは並んで歩きながら、
ときどき同じ方向を見て、
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言葉は少ないのに、
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